損得だけでもいい
ちょっと嫌なことがあって、書くべきかどうか迷っていたりします。
いや、実は既に書いたのだけど、公開するべきかどうか迷っているのです。
とりあえず、その「周辺」のことだけ書いてみます。
私は人は自分の損得だけ考えていれば良いと主張しています。
「ウワッ、サイテー」とか言われそうですが、ちょっと聞いて下さいね。
人が本当に自分の損得を考えるとき、その思想も行動も実は道徳的ともいえる強い制約を受けるはずだと思うのです。
つまり、こういうことです。
例えば、
私は宗教家ではないので人の幸せの本質を云々する気はありませんが、少なくとも私はその状態を「幸せ」とはとても思えない。多くの方がそうなのではないですか。
結局のところ、家族が生き生きと頑張っていて、隣にいる人が笑っていて、友人が幸せに暮らしているような、そういう状態が自分の周囲にあることこそが自分にとって「得」だという感覚は、むしろありふれた当たり前のものなのではないですか。
だから私は自分の損得をとことん追究する考え方が好きです。迷惑なのはむしろ、自分を傷つけることに無自覚な方であり、損得をきちんと考えていない方なのだと思うのです。
以前、この考え方を話した際、ある方に「それは得を求めているのではなくて、徳を求めているのだよ」と言われたことがありますが、わたしには「徳」なんて言葉はちょっと
「得」を求めることで十分に機能しますし、変に偉そばってなくていいじゃないですか。
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