マスコミ主導型文化劣化
私の一番嫌いなものの一つが標題の「マスコミ主導型文化劣化」だ。
「何だそりゃ」と思って、Googleで検索しても見つかりません。私が作った表現なんだから。
例えば、前にも取り上げたことがあるけれど、最近やたらに「進化」という言葉を使うのが私は気に入らない。
Wikipediaにはこうある。
進化(しんか、英:evolution)とは、生物の遺伝的形質が世代を経る中で変化していく現象のことである。
そう。これが進化の唯一の意味だ。
何せこれは生物学における用語以外の何物でもないのだから。
スポーツ選手がどんなにトレーニングをこなしたところで、絶対に進化はしない。
なぜなら、トレーニングしたところで遺伝的形質は変化しないし、仮に変化したところで、「~世代を経る中で」とは言えないし、変化した結果が生物学的に”ヒト”の範疇にあるのなら、それはやはり進化ではないのだ。
もちろん、言葉は変遷していくものだ。実際、歌舞伎用語や落語用語が全く別な意味で一般的に使われるようになっているが、そんなことに目くじらを立てるつもりは全くないのだ。
ではなぜ、「進化」の転用を受け入れられないのか。
理由は2つ。
1つ目はあまりにも拙な過ぎる転用であること。
2つ目は自然な転用ではなく、マスコミが無考えにも、その恐るべきパワーで強引に浸透させた用法であることだ。
そう。言葉は変遷する。
そして、変遷することは決して劣化ではない。
もともとの「起こり」と全く異なる意味を持ったにせよ、それはその言葉の誇るべき歴史であり、言葉に円熟を与えるものなのだ。
しかしそれは、あくまでも文化的抵抗に抗って、勝ち抜いた結果として起きる変遷の場合である。
言葉には本来の意味・用法というものがある。しかし、間違った使い方をするものや、故意に意味を拡張したり、転用したりする者もあらわれ、新しい意味・用法の
しかし、この萌芽ががきちんと根付くかどうかはまだわからない。本来のものではない用法を「誤用」として排斥する力が必ず存在するはずだから。
この排斥する力こそが文化的抵抗であり、この力になお打ち勝って獲得した言葉の新しい意味や用法であるならばそこには一定の必然性が存在することになる。
しかし、「進化」の転用は異なる。
単なる日常の中で、誰かが「著しい成長」のことを「進化」と言い表したというだけのことなら、この表現は文化的抵抗にたやすく敗北し、単なる誤用で終ったはずだ。なぜなら、あまりにも進化の語義からはなれてしまっていて、「ナルホド!そりゃ言いえて妙だ」といったフィット感が全くないチグハグでド下手くそな転用だからだ。
しかしながら、残念なことに、そのド下手でセンスのかけらも感じられない転用は日常の中ではなく、スポーツの実況中継の中でマスメディアを通じて大々的に流れてしまったのだ。
「○○選手は大幅な進化を遂げましたね!」なんて具合に。
この放送が流れた時点で、すでに進化の正しい語義を身につけているものならば、「なんて言語センスのないアナウンサーだろう」で済む。
しかし、まだ進化の正しい意味を知らない子供たちは違う。むしろ、この表現こそが始めてであう「進化」になってしまうことになる。
しかも、この形で伝えてしまった場合、文化的抵抗が全く機能しない。たまたま隣に言語感覚の鋭い大人がいて、「これはあまりにもひどい誤用だからね。もちろんアナウンサーさんはわかった上で新しい表現を生み出したつもりでやっているのだと思うけれど、それにしてもあまりにもセンスのない下手な転用なんだよ」と教えてあげることが出来れば良いのだろうけれど、そんなことは滅多にあるまい。
かくして、このセンスのない誤用は文化的抵抗にあうこともなく、いきなり定着してしまったのだ。
もう今では「○○選手が成長を遂げた」なんて表現を聞くことのほうが珍しい。同じ転用でもこの文脈で「成長」を用いるのは実に理に適っているのだけれど。
このような形で、マスメディアを通してセンスを欠いた稚拙な転用がどんどん定着していってしまうと、世代を越えて本当に価値のある文化を継承することが非常に困難になってしまう。勉強して正しい意味を理解すれば事足りるというものではなく、言語の持つ細やかなニュアンスをしっかりと共有できたもの同士でなければ、まともなコミュニケーションなど成り立たないのだから。
これは最早、マスコミが主導して日本文化を劣化させているに等しい行為だ。
私はこの手の現象を「マスコミ主導型文化劣化」と呼び、今後事例収集に努めることにしようと思う。
・・・メディアから流れる安直な転用に疑問を持ち、「待った」をかける方が増えることを祈ってこんな記事を書き始めたけれど、なんかちょっと力尽きました。
多少なりとも伝わったら嬉しいなっとヽ(^o^)ノ
進化以外にも色々あるんだよね。この類は。
昨日テレビみてたら、「~ダイエット」というのを紹介していたけれど、どこをどう見ても「ダイエット」じゃない。何せ食事の話をしないのだから。
御存じの方も多いと思うけれど、ダイエット(diet)って食事(食餌)療法のことで、決して痩身のためのあれやこれやのことではない。
例えば、「痩せるための食事」ならば、ダイエット食と呼んでも差し支えないけれど、逆に「太るための食事」だってダイエット食だし、胃腸の具合を整えるための食事ももちろんダイエット食。
それから、「痩せるための運動」はダイエットではないんだよね。
英語圏だと、エクササイズ(exercise) か ワークアウト(workout)辺りを用い、断じてdietは使わない。
痩せるための運動をダイエットと呼ぶようになったのなんて、まさにマスコミ主導型文化劣化の好例だよ。全く。
本当に「いまさら」な感じがMAXなんだけれど、それでも「○○ダイエット」と称して痩せるための運動の類を紹介しているのを目にしたら、「ああ、また間違ってるなぁ」と心の中でぜひ思って欲しいなと思います。もちろん、声に出して、周囲の方に伝えていただければなお良しです。
ヽ(^o^)ノ
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コメント
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ファミレス主導型文化劣化…
もありますw
~~~ヾ(^∇^)おはよーございます♪
またまた筆力満点の難しい話題ですねぇ^^;
でも、cooも変な日本語ゎ嫌いでつ!(自分が一番変ですけどw)
どうしても受け入れられないのが
「よろしかったでしょうか?」です^^;
オーダーの時とか、過去形で聞かれると何故かムカッとしますw
「あ゛!さっきは良かったけど、今は変えるぅ!」って言いたくなりますw
食べ物出される時の「~になります」って言われると、「何時まで待てば良いんですかぁ?」
「今は何なんですかぁ?」って聞いてやりたくなりますからぁ(>▽<;; アセアセ
投稿: coo | 2009年6月22日 (月) 10時49分
「よろしかったでしょうか?」に初めて気がついたのは1998年に名古屋に出張に行ったときなんだよね。
その頃は、大阪でも東京でも「よろしかったでしょうか?」と問いかけるファミレス店員にもコンビニ店員にも一度も出会ったことがなかったんだよ。
名古屋の某一流ホテルのバーテンダーさんが、その表現を用いたものだから、私はてっきり名古屋の方言なんだと最初は理解していたよヽ(^o^;)ノ
あるいは、敢えて過去形を使うことで「あなたはお得意様ですよ」という印象を与えようとしているのかとも思ったりもした。
それが、2000年頃には関東のコンビニでも使われるようになっていた(関西は確認できてない^^;)んだよ。
ひょっとしたら、ファミレスかコンビニの応対マニュアルを名古屋というか中京地方の方が作成なさったのかと思ったりしたもんだが・・・。
後ね「千円からお預かりします」もヘンだよねヽ(^o^)ノ
あれは、「千円お預かりします」でなきゃ絶対におかしい。
だって、代金が300円の場合、「千円からお預かりします」だと、多分、「千円から300円お預かりします」という意味だよね?
ということは、その300円は支払ったわけじゃなくて、預けただけなんだから、返してもらわなきゃいけないことになると思うんだ。
ヽ(^o^)ノ
投稿: のんきんぐ | 2009年6月22日 (月) 15時49分
こんばんわ!
マスコミの影響力は本当に怖いですね。
私達の業界でも
~が身体にいいとテレビで放映されれば
すぐにみんな飛びついて
”先生知らんの~?遅れてるで”
と言われる始末。
私達は勉強に勉強を重ね
根拠のある確かな情報しか
患者さんには伝えません。
それに命かけてるしね~
マスコミに洗脳されている患者さんを
うまいこと説明して、納得してもらって
正しい養生法を伝えるのも
私達の大切な仕事なのです。
みなさん気をつけましょうね(◎´∀`)ノ
投稿: 高橋鍼灸院 | 2009年6月22日 (月) 18時56分
何故だか文面が切れていて
良く読めないのはともたんだけかな?
マスコミはの影響は絶大な物があるよねぇ~
野球選手が進化じゃなくて「シンカー」ならあるよね?(ノ∀`)・゚・。 アヒャヒャヒャヒャ
ギャル語って言うのも分からないけど~c(>ω<)ゞ
余り変な日本語はともたんも好きではないけど
イケメンは賛成でふ~( ̄▽ ̄)ゞ
投稿: ともたん | 2009年6月22日 (月) 21時17分
仰る通りですね。
それに、なんだか専門家に対する敬意のなさにも違和感を感じるお話ですよね。
IE系だとうまくレンダリング出来てなかったね^^;
ちょっと誤魔化したから読んでみてねヽ(^o^)ノ
ごめんね。私は「イケメン」も随分とセンスのない表現だと思ってるよ^^;
少なくとも10年もしたら、いま「チョベリバ」とか言うよりも恥ずかしい表現になっていると私は思うなー。
そもそもが「イケてるメンズ」の略らしいけれど、まず関西弁の「イケてる」の意味を正しく捕らえることができていない。次に「メンズ」に至っては意味不明。
叶姉妹が「メンズの方は~」のような表現を使うところから始まったらしいけれど、「メンズ」って一体なんだ?男性ならメンだろうし、メンズって"Men's" だろうと思うけど、それって単独で用いたら「男性用」ってことだと思うのだけど^^;
だから、イケメンは言葉としてははっきりいって三級品というよりも欠陥品に近いものだ。
それでもね。
電波に乗ってこれだけ大量に流れてしまうと、そんなことと無関係にみんなの頭にインプットされてしまうよね。
しかも、自分の好きなタレントが「イケメン俳優」とか「イケメンアーティスト」などと称されていたりしたら、そのタレントのイメージが逆に「イケメン」という用語をバックアップしてしまったりする。
そうなって来ると、イケメンというセンスのない欠陥用語だって良いものに聞こえるようにもなって来たりもするよ。
だから、マスコミが無分別に大量にながす低レベルの情報による汚染は恐いと私は思うよ。
投稿: のんきんぐ | 2009年6月23日 (火) 00時48分
おはようございます。
いつも応援ありがとうございます♪
このコメント非常によく分ります。
漢字は中国と日本が使っていますが、むかしから活字に弱いニッポンジンは、基本的にマスに踊らされやすいですよね。
そんな感覚でTVを見ている人も多く、上手に洗脳されていると思います。と書くと、ちゃんと反発するように、また洗脳されてないと思うように自己暗示させられてますよね^^
米国では未だに6割の人がダーウィンの進化論を受け入れられません。これとは意味が違うと思いますが、なんでも進化はオカシイですよね。
たぶん、トイレを「はばかり」や「雪隠(せっちん)」「厠」「手水(ちょうず)「お手洗い」「化粧室」「ご不浄」「トイレ」「W.C」と色々言い変える事で臭いから逃げて来たのと同じ感覚ではないでしょうか?これを進化といいながら「くさい臭いは元から絶たなきゃダメ」というのは「革命」かもしれませんね^^
投稿: 大翔 | 2009年6月23日 (火) 09時03分
始めてコメント致します。
私と同じ印象をお持ちの方がいると知って、救われる思いです。私はテレビと離別しましたから、嫌な思いをする機会はそれだけ少ないのですが、タレントの大橋巨泉氏が以前ラジオ番組でコメントされていました。「品のない、或いは間違った言葉は淘汰されるから、そのままにしておけばいいんだ」と。確かに言葉の変遷は淘汰の歴史でもあると思います。しかし、あまりに強引な「転用」「誤用」はそのままにしておけない気がするのです。
"child in car"というステッカーを貼った車を見かけませんか?あれはきっとドアの内張の中に赤ちゃんがいるんですよ。
"child on board"でしょ!日本語で書くと売れないんでしょうね。
巨泉氏の言われるとおり、淘汰されるに任せようかと、思ったところこの記事に出会いました。
あつくなっているのは今日この頃の天気のせいばかりではないようです。
投稿: nob | 2009年6月26日 (金) 00時44分
統制されたマスメディアも問題ですが、無目的に暴走するマスメディアも手に負えませんよね。
そんな中、ネットはやはり一条の光だと思います。玉石混淆ではありますが、本物も見つかるから。
こちらこそ救われる思いです^^
世代から世代へと文化を継承していくのではなく、マスメディアから紛い物の文化を吸収する構図が続く限り、巨泉氏の仰る『淘汰』は機能し得ないのではないでしょうか。
問題の輪郭を正しく浮き彫りにして、的確な対応策を講じなければならない所に来ているように思えてなりません。
投稿: のんきんぐ | 2009年6月26日 (金) 04時12分
巨泉さんは懐かしいですね〜^^
確かに言葉は淘汰されますが、生まれても来ます。
私は方言も世代語も大歓迎です!
ただ、仕事をするには世代間や地域間を超えねば成らないので、一応の標準語と敬語は使えなければなりませんよね。
若い方も年輪を重ねた方も、自分の言葉だけが正しいと思うのではなく、視野を広げて全体と部分をつかめるようになって欲しいものです。
教育的には小学校で身につけたいセンスですよね。
投稿: 大翔 | 2009年6月29日 (月) 15時51分
はじめまして。
ブログ村に登録しようとカテゴリーチェックしてる途中にこの記事に導かれました。
骨のある議論に共感せずにはいられなくて拙いコメントを残させていただきます。
昨今のマスコミが主導する軽薄・安直・お手軽な表現で私が常日頃から心で舌打ちしているものを記載します。
1.「奇跡、奇跡的」:昔はそんなに奇跡は日常茶飯事にありませんでした。
2.「神業」:神のごとき業というものは、そんなに軽々しいものではありません。
3.「アート、アーティスト」:アート、芸術というものは何世代、何百年経っても色あせないものです。然るにアーティストというのは少なくとも単なる歌い手とかタレント(これも・・?)を指すものではありません。
4.「親友」:親友なんてものは一生涯で1人、2人ぐらいなもんじゃありません?
5.「号泣」:人前でそんなに泣く事はありません。
以上は、バラエティーばかりかニュースメディアからも当たり前のように垂れ流されているフレーズですが、もはや巷間においてもお気軽に使われつつあることにマスゴミの罪は重いかと思います。
失礼いたしました。
投稿: ひゅう | 2009年6月29日 (月) 15時54分
私は敬語も正しいステップで淘汰されていくのであれば、それはそれで良いと考えているのですよ。私は使うべきところに敬語が使われていないと違和感を感じてしまいますが、それって実は武士が民主主義に違和感を感じているようなものなのではないかと思ったりもするのです。
丁寧語、丁寧表現は残って欲しいと願いますけれどヽ(^o^)ノ
そうですね。小学生の間には基礎的な国語力をきちんと身につけてほしいものですよね。
結局、読書量の問題だと思います。
コメントありがとうございます。
全くもって仰る通りです。
私は、歌詞などに「奇跡」なんて言葉が使われていたりしますと、「やっすい歌詞だなー」と感じてしまいます。
「アーティスト」なる言葉の意味は私の頭の中ですげ替えられつつありますが、正直恥ずかしいです。
英語圏の方が、しばしば両手の人指し指
と中指を弧を描く程度に伸ばして、発言なさることで、「本来の意味じゃないよ」とか「最近一部のやつらが使っているヘンな表現だよ」と示されます。
あれはダブルクォーテーションを意味するアクションらしいのですが、その流儀にしたがえば、アーティストではなく、”アーティスト”と表記すべきなのでしょう。
投稿: のんきんぐ | 2009年7月12日 (日) 12時34分