土屋アンナに拍手
7月25日の日テレのNEWS ZEROにおいて土屋アンナさんが次のような事を仰っておられた。
学校で1位2位を競わなくなっているのなんて、ホントにおかしな話だ。
ハングリーに1位を目指して、挫折を繰り返してこそ、人は成長するのだ。
全くもってその通り。
もう一年以上前になるけれど、『世界に一つだけの花』は有害だと思うという記事を書いた。私にとってはぜひお読みいただきたい記事の一つだけれども、つまるところ私はこう信じている。
ナンバーワンを目指す気概のないものがオンリーワンの輝きを得られるわけがない。
生まれたまま何の努力もしないものにオンリーワンの輝きなどないのだ。
残念ながら、いまの日本には、『世界に一つだけの花』を賛美し、子供たちに素晴らしい歌として教え込む思慮の浅い大人であふれている。
土屋アンナさんが冒頭のメッセージを楽曲にしてくれて、その楽曲が『世界に一つだけの花』を駆逐してくれたらいいのになと願ってやまない。
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コメント
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こんにちは。
僕も、番組観てました。
本当にそう思いますね。
挫折の数だけ人は心身強くなれるし他人にも優しく
なれると思いますけどね。
今一度、自分自身にも問いかけてみます。
投稿: 来夢 | 2009年7月25日 (土) 11時12分
同感ですけど、そうして来たのは、
今までの大人ですからね~
子供の可愛がり方が間違っている。
競争を無くせば社会は平和になるとでも思ったんでしょうか、
全く別問題ではっきり定義すべきですけどね。
子供を育てるのは殆どが母親なのに、
その母親を国は育ててこなかったから、
いま色んな問題に繋がっていると考えるのは、
私以外にもいるでしょうか。
私の世代には女性が教育を受ける事に、
取りあえず反対する大人がまだ多かったね。
女のくせに、お金の無駄だとか、
自分に自信が持てない、社会的な地位が確立されない、
そんな母親たちが子育てすると、
やはり世界に一つだけを目指すでしょうね。
男と女、政治と経済、国際社会と日本文化、
教育・医療問題と税金の使い方、
とかく日本はバランス感覚が悪いと言う欠点があります。
投稿: ファミファミ日記★デンデンママ | 2009年7月25日 (土) 22時59分
ご賛同ありがとうございます。
子供たちから切磋琢磨する喜びを奪って欲しくないですよね^^
なぜいまの日本で、このようなおかしな教育方針がはびこってしまったかについては、産業革命以降の世界史と、昭和の歴史を振り返ればかなり明確に見えてくると思います。
母親といいますか、「親」になるための教育の欠如が大いに問題であることは多くの方が指摘しておられますね。
子供が出来たからといって、ある日突然プロフェッショナルな親になれるわけではありません。
いまの日本では、全くの素人がいきなり「親」という高度な仕事をしなければならない立場になるわけですから、当然ながら、子育てがうまく出来ない。
さらに核家族化がすすんでいるため、その「初心者の親」以外に子供をしつけられる者がいない。
「親になる」というのは人生において非常に大切なテーマなのに、そのために学んでいないのは致命的ですよね。
私は小学校1年から「親になるための勉強」・・・「親学」とでもいいましょうか・・・をさせるべきだと考えていますよ。
投稿: のんきんぐ | 2009年7月26日 (日) 15時01分
のんきんぐさんが男だから、遠慮しましたけど、
やはりただものではないですね~
その通りですよ。
敗戦後に激変する日本の教育、
実は政治、歴史以外の教育まで、
投げ捨てる事はなかったと思いますよ。
核家族化と同時に、
地域社会の繋がりもどんどん薄まって行くしね~
過去を振り返って、誰がこれからの教育問題と、
子育て問題にメスを入れてくれるのか、
期待できる政治家がいないのが、
あまりにも悲しい現実・・・
投稿: ファミファミ日記★デンデンママ | 2009年7月26日 (日) 22時40分
全く同感ですね^^
スマップが歌ってた頃、なんだこの曲?
この曲が流行れば流行るほど、日本人は無気力になり、なんでも他人のせいにする阿呆(人間の心を忘れた人)を沢山作っちゃうぞ!と警告して来ました^^
島国根性大ッ嫌いです!
投稿: 大翔 | 2009年7月27日 (月) 01時00分
いえ、ただものですヽ(^o^)ノ
戦後、戦前の全否定に走ってしまったのは、当時の状況に鑑みて、ある程度致し方なかった部分もあるとは思います。
とはいえ、その代償は大きかったですね。
ご賛同ありがとうございます。
まさに「ゆとり教育」の時代を象徴する歌として、紹介される日が来るのではないかと思います。
投稿: のんきんぐ | 2009年7月28日 (火) 10時36分
通りすがりで初めてコメントします。
この歌、私も同じ思いでした。
それに第一「花屋の店先」に並んでるんですよね?
それって既に競争を経て、かなりナンバーワンな花ですよね?
見劣りのする野の花は花屋さんの店先には来られないし、
花びらが欠けているような花は出荷されないし、
この状況で「ナンバーワンでなくてもいい」と言われても、
そうだよ1位でなくても既にトップ層に入ってるよ、
と言いたくなります。
じゃ、野の花ならいいかというと、そっちのほうがよほど生存競争厳しいのではないかと思いますし。
いろいろ納得できない歌です。
投稿: 通りすがり | 2009年8月 2日 (日) 10時26分
仰る通りだと思います。
常々思うのですが、この歌のターゲットって、「頑張って自分なりの花を咲かせることは出来たけれど、自らの花の出来ばえを他者と比較してみじめな気持ちになった大人」以外にはないんじゃないのかと思うのです。
子供は「世界に一つだけの種子」に過ぎず、これから根を張り、茎を伸ばし、花を咲かせるために頑張らなきゃいけない。
そこには熾烈な闘いがある。環境が悪ければ悪いなりに養分摂取のために四苦八苦しなければならないし、良ければ良いなりに、他の植物との競争が激しいでしょう。
そんな子供に対して「頑張らなくても良い根拠(言い訳)」を与えることは、とても残酷なことだと思います。
なぜなら、その言葉は、子供自身の中に、その「熾烈な闘い」における一番やっかいな敵を作り出すことになるのですから。
投稿: のんきんぐ | 2009年8月 2日 (日) 12時50分