ああ、朝青龍
この記事をお読みになってどのように思われますか。
私には虚飾など全くない、ありのままの事実が述べられているとしか思えませんでした。
暴力沙汰があったかどうかも怪しいものだと私は思いますが、酒の場で何らかのトラブルがあった事自体は事実なのでしょう。
しかし、私はこう思うのです。
これまで散々続いた「朝青龍叩き」がなければこのようなトラブル自体、起きなかったのではないかと。
内館氏、やく氏を始め、朝青龍の在り方を疑問視しておられた方々の主張は、正しいと言えば正しいのでしょう。
少なくとも日本の庭先で主張するならば十分に正しいと思います。
しかし、朝青龍は異国の方です。日本の(あるいは角界の)文化に生まれながらどっぷりひたって、それを常識として身につけている日本の力士ではないのです。
「郷に入れば郷に従え」とは言うもの、従うべき「日本の常識」「角界の常識」が何なのか、きちんと伝えることが出来ていなければ、従おうにも遵うことが出来ないではありませんか。
良くも知らないことをあれこれ言っているのは認めます。
しかし、それでも大まかな図式として、一連の朝青龍騒動の根底にあるものは、日本独自の文化を普遍的なものだと思い込む無教養さ・不見識さなのではないかと思えてなりません。
あるいは、異文化に対する敬意と思いやりの欠如といっても良いでしょう。奇しくも内館氏が朝青龍に対して同様のことを言っておられたようですが、日本の大相撲を懸命に牽引し続けてくれた異国の大力士に対する敬意と思いやりが内館氏にあったかどうか、はなはだ疑問です。
そもそもの発端になったサッカー騒動も、日本側の視点からのみ連日報道されました。
しかし、朝青龍はモンゴルの英雄であり、モンゴルに帰ればモンゴルの国民の期待に応える責務(まさしく責務です!)があるのです。
「約6週間の休養、加療を要する」という不十分な状態であっても、久々に帰国した祖国で、民衆が沸き立ち、ヒーローのプレイを望む中、怪我を押してプレイする、それも怪我など感じさせない溌剌としたプレイを見せることが、そんなに責められることでしょうか。私にはむしろ自然な行い、正しい行いに思えてなりません。
角界から見れば、「怪我で休養中のはずなのになんだアイツは」ということになるかもしれませんが、モンゴルの方々から見れば、「怪我で休養中であるにも関わらず、私達の前で溌剌とした雄姿を見せてくれた英雄」であり、朝青龍の行いはむしろ美談ですらあるはずなのです。
朝青龍にしてみれば、精一杯「良い行い」をしただけなのではないでしょうか。
だからこそ、この件については、彼は謝罪を散々しぶったのだと私は見ています。恥じるべき点など全くない、良心のままに行った、むしろ褒められるべき行為について、なぜ謝罪しなければならないのかと。
しかも、彼は歴史上抜群の成績をおさめた大横綱でもあります。日本の角界のために粉骨砕身頑張り続けたからこそ、その成績と地位があるわけです。
決して、素質だけで楽々勝ちつづけたわけではありません。現に彼は満身創痍だったではありませんか。
サッカー事件のあらましを次のようにまとめるのは間違いなのでしょうか。
「朝青龍は異国(日本)の民の期待に応えるためにボロボロになるまで頑張り続け、休養を余儀なくされてなお、祖国の民の期待する”英雄”の姿を演じるため、そのボロボロの体に鞭打って頑張った」
・・・さて、どこに謝罪しなければならない要素があるのでしょう。どれだけの人がこの朝青龍ほどに立派に生きているでしょうか。
もちろん、この解釈だけが全てではないでしょう。しかし、決して無茶な解釈でもないはずです。ならば、マスコミの連日の報道は、「朝青龍の行動は相撲界の慣習にあわない」という非難と、「彼の行いは人として完全に正しい」という擁護がつばぜり合いをしていても良かったはずです。
しかし、実際には朝青龍はマスコミとマスコミの盲信者の袋叩きに合いました。彼を擁護する声など、マスメディアからは殆ど流れて来ませんでした。
正しいと信じる行いをした結果、こんな状況に置かれてしまって、あなたは平気でいられますか?
しかも、最終的に朝青龍は下げたくもない頭を下げて謝罪し、相撲を続ける道を選びます。当然ながら、納得などしていなかったでしょう。しかし、それでも頭を下げるのは「この地においてはそれが正しいのだ」と思いやったからだと言えるでしょう。実に見上げた態度ではありませんか。異文化に対する敬意に満ちているではありませんか。
そこまでして、さらに日本の大相撲を盛り上げてくれた大横綱が、ついに土俵を去る・・・いや追い出されたのです。
私は日本という国の一員として、モンゴルの英雄(最早、日本の英雄でもあったはずです)を追い出してしまった日本の相撲界を恥じます。日本の常識を一方的に押しつけて糾弾し続けたマスコミを恥じます。
朝青龍の発言の一つ一つをもう一度確認していただきたい。
彼がどれだけ寛大に異国の文化を受け入れようと頑張っておられたかわかるはずです。どれだけ相撲を大切にしてくれていたかわかるはずです。十二分に品格に満ちていたことがわかるはずです。
しかし、あれだけ袋叩きにすればストレスもたまります。あれだけ悪し様に報道すれば、同じような言葉を面と向かって浴びせる馬鹿もいるでしょう。酒の場でトラブルが起きる材料が満載ではないですか。
誰にも後ろ指をさされるいわれのない輝かしい英雄を引きずり下ろして泥まみれにして、「何をするんだ」と怒ったことを理由に日本から叩き出した。
・・・これが、私達日本人がモンゴルの(そして日本の)英雄に対して行ったことなのではないでしょうか。
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コメント
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私は、大の大相撲ファンです。
のんきんぐさんは相撲をどれほど理解しているのでしょうか?
朝青龍の引退は私自身も同情するところがありますが、
一力士ならともかく、横綱が問題を起こしたことが問題なのです。
いいですか、「横綱」は、実力品格共に優秀で、全力士の見本でなければならないのです。
なぜなら、横綱は唯一横綱を締められる神聖な存在だからなのです。
相撲は唯のスポーツではなく、神儀です。
いつも、場所が始まる前に土俵の真ん中にお供え物をして神主が五穀豊穣を願い祝詞をあげます。
この場には横綱も参加します。
そして土俵に上がった力士には神が宿るとされます。
なので言葉を発してはなりません。
四股踏みもそう
横綱は神の依り代で有る事の証明なのです。
外国人に押し付けるなと言った所で、
大相撲は日本の国技であって、神儀であって、
たとえ日本人が外国に行った所で、
そこのスポーツの仕来たりに従えというのは当然でしょう。
ゴルフのホールインワンだって、わざわざパーティーを開かなければならないんですよ。
文句言いながらも皆開いているのです。
お金の無い末端のプロであってもです。
それに第一、場所中に朝まで酒を飲むなんて、
一スポーツマンとしても失格でしょう。
体調管理のたの字も無い。
昭和の大横綱双葉山も、酒で問題を度々起こしていましたが、
場所中に酒は自粛していたんですよ。
(問題を起こしていたのは関脇時代まででしたが)
過去には、本場所を休場して野球観戦したとして引退させられた横綱も居るのです。
それと比べれば、今回の朝青龍の引退はまともだと思いますよ。
既に、サッカー問題の時に引退していてもおかしくなかったのです。
ボロボロの体に鞭打った……は美談でもなんでもなく、
ボロボロならするな!
です。
そのせいで怪我を悪化させれば、
本当に引退しなければならなくなります。
ファンも本人だって後悔するでしょうし、怒ったのも本人を思ってだと思いますよ。
実際に親方も、「嘘でも本当でもやっちゃ駄目だ。悪化させたらどうする」と言っています。
今回の騒動は、本人が半分、周りが半分でしょう。
周りも持ち上げていたようですし、親方も大して注意しなかったようですからね。
投稿: 青山 | 2010年2月 9日 (火) 12時43分
ちなみに、双葉山は居酒屋でものすごい大喧嘩をして警察のお世話になった事もあるんですよ。
投稿: 青山 | 2010年2月 9日 (火) 12時48分
私もかつては大相撲ファンでした。
相撲が神事とされていることも、横綱がどのように位置付けられているのかも、承知しているつもりです。
「かつては」と申しましたのは、若貴が人気を博していた頃に、相撲に(あるいは相撲をとりまく報道にかもしれません)気品が感じられなくなって遠ざかってしまったのですよね。
とはいえ、かつてはファンでしたから、青山さんの相撲に対する想いがわからないわけではありません。というより良くわかるつもりです。
ただ、私は朝青龍(元というべきなのでしょうが)さんに、その文化が十分に伝わっていたとは思えないのです。
伝える努力が足りなかったのではないかとも思いますし、つまるところ、伝えきることなど本当に可能なのかどうか疑わしいように感じています。
しかし、伝える責任は角界側にあると思いますし、伝え切れないのであれば、角界に迎え入れることを諦めるか、もしくは日本文化を解さない力士の招く結果を享受するかの二者択一になるのではないでしょうか。
確かに日本人以上に日本人らしいと評された高見山関のような方もおられますが、全ての外国人に同じことを期待するのは間違いではないでしょうか。
思えば、むしろ高見山関が「うまく馴染み過ぎた」ことが、外国の方を角界に迎え入れる際の覚悟を甘いものにし、準備を不十分なものにしてしまったことの遠因になっているのかもしれません。
しかし、異国人の受け入れ態勢が不十分でも直接接している親方にはそれを越えて、伝えるべきことはきちんと伝える責任があると私は思います。
その意味で、私は高砂親方の罪は重いと感じています。
ただ、一人の人間として、朝青龍関を非難できる程、私は偉くないです。
投稿: のんきんぐ | 2010年2月 9日 (火) 13時00分
双葉山の居酒屋事件はもちろん知ってますよヽ(^o^)ノ
投稿: のんきんぐ | 2010年2月 9日 (火) 13時06分
確かに協会側の責任は重いです。
教習所も日本語ですからね。
せめて英語でやっても良いと思うのですが……。
日本語が全く分からない外国の人が受けているのですから、
相撲を理解できるわけ有りません。
関取に成って始めて理解できたという話もしょっちゅう聞きます。
貴乃花親方が所長になったので、
いくらか変わればいいのですが……
投稿: 青山 | 2010年2月 9日 (火) 13時16分
私も若い親方の改革にとっても期待してます。
私が相撲を見なくなってしまったときの失望感は、おそらく今回の件で多くの方が朝青龍関に感じた失望感と良く似ているのではないかと思っているのですよ。
双葉山の宗教絡みの暴行事件や大鵬の拳銃事件などはリアルタイムで見聞きした事件ではないので、あまりインパクトを感じないのですが、誰の目にも尊敬すべき名横綱だった輪島関が角界を離れた経緯や、現理事長の北の湖関のホステス殴打事件、双羽黒(でしたっけ?北尾だった方です)のおかみさんに対する暴力などの横綱が次々の起こす不祥事には正直本当に傷つきました。
本当に悲しかったのですよ。
その体質を維持した状態のままであるにも関わらず、才能ある若き若貴によりかかって、ショーのように盛り上げられた大相撲は私には見るに耐えなかったのです。
加えて、千代の富士がいなくなった土俵がつまらなく見えたということもあって、相撲を見なくなってしまっていたのですよね。
そんなわけで、私の中では既に相撲のイメージ、横綱のイメージは「汚れて」しまっていたのですよ。
そんな私には、朝青龍関の行いが過去の横綱とどれ程違うのだろうかと疑問に思えてならないのです。
さらに、日本にいて日本の文化をしっかりと知っているはずの日本の力士のその頂点に立つ横綱ですら守れていない伝統を、どういうわけか、異国の力士にはより厳格に守ることを強いているように見えてならないのです。
投稿: のんきんぐ | 2010年2月 9日 (火) 13時35分
本当にそう思います…
朝青龍は日本人ではなくモンゴルの方。
モンゴル人としてあのサッカーに参加する姿勢や、
モンゴル人であっても日本の文化である相撲に
貢献してくれたその姿勢、どちらも朝青龍の姿
なのに…。
なんだか内舘さんといいやくさんといい、全部を
朝青龍に押し付けていたような気がします。
うまくいえないんですが、朝青龍がかわいそうに
感じたことがたくさんありました…。
投稿: もえこ | 2010年2月10日 (水) 22時57分
正直なところ、私は内館氏ややく氏の発言には嫌悪感を感じました。
あの方々の発言は島国根性むきだしの実に”日本人らしい”発言だと感じました。
自らの文化を普遍視して、それにあわぬものを躊躇なく拒絶できてしまうのは、つまることろ不見識ゆえでしょう。
朝青龍関が角界の慣習からはみ出してしまうのもまた、朝青龍関の相撲に関する見識に問題があるからだと言う整理も間違いではないと思いますが、両者の不見識には随分と質の違いがあります。
前者(内館氏、やく氏)の不見識は、これだけ情報があふれている現在にあっては、はっきりとした努力不足でしかありません。
少なくとも、公の場で、あれだけ断定的に人様を否定するに十分な見識を持ち合わせているとはとてもとてもとてもとても言えず、その見識を持つに至らなかった責めは間違いなくご本人にあると思います。
しかし、朝青龍関の場合どうだったでしょうか。
角界の慣習について十二分に理解できる機会があったでしょうか。まして、既に誰も体現しえていないお題目だけの角界の精神など、机上で学ぶことも実地で肌で感じることも出来ないものだったのではないでしょうか。
それでも彼は間違いなく誰より頑張った。
とてつもない成績がそれを証明しています。
「強くてもダメだ」という議論はわからなくもありません。ただ、反論ではありませんが、次のような視点を見失っているのではないかと思うのです。
それは、『大相撲の精神性は「相撲」の実技と別に座講で学ぶようなものではなく、相撲の稽古・立ち会いを通して学ぶものだ』ということです。
その意味において、「強くなる」ために成すべきことと、「大相撲の精神性を理解する」ために成すべきことは、基本的に同じであるはずです。
ならば、誰よりも強い朝青龍関は、大相撲の精神性を理解する努力をも誰よりも積み重ねた力士だと言えるのではないでしょうか。
朝青龍関が誰よりも精進したにも関わらず、それでもその”精神性”をつかみ損ねているということであれば、2つ考えるべき点があります。
1つ目は、力士を育成するシステムそのものに不備があるのではないかという点です。強くなろうと懸命に稽古する過程で身につかないような”精神性”なんて、とってつけたようなお題目に過ぎないということになってしまいます。そうでないと言うのであれば(そうでないと私は信じています)、やはり稽古・試合を通して肌でそれを学べるような角界でなければならないと思うのです。
2つ目は、朝青龍関がそのような「至らぬ」状態にあると言うのであれば、なぜ横綱にしたかということです。
横綱不在では盛り上がらぬ大相撲を盛り上げるために多少のことには目をつぶって彼を横綱にしたということであれば、非があるのは明らかに横綱審議会の方です。
むしろ、朝青龍関はショーを盛り上げるために、分不相応な大役を担わされた被害者ということになるでしょう。
ショーを盛り上げるために精神性に目をつぶって横綱にして、精神性に問題ありとして土俵から追放する。
そんな我が儘勝手が許されるものでしょうか。少なくとも海外の方には全く理解のできないとんでもないふるまいでしょう。
ちなみに私にも理解できませんけどね。
現在の角界自体に非があることは間違いない。
横綱審議会に大いに非があることも間違いない。
報道の在り方に非があることも間違いない。
では、その主役の朝青龍関はどうなのでしょう。
少なくとも、腐った角界・興行重視の横綱審議会・視聴率至上主義の報道などに、後ろ指を指す資格など微塵も無いと私は思うのです。
投稿: のんきんぐ | 2010年2月11日 (木) 15時11分
(´~`)。゜○
そうだよね、相撲界は日本の伝統そのまんま
朝青龍は、とんとん拍子で勝ち進んでいったから
心技体の心を、真心(まっしん)に刻む時間が無さ過ぎたんだと思う
教えなかったんじゃなく
覚えなかったんじゃなく
時間が無さすぎた・・・・・んじゃない?
ある意味、やめて正解だったかも
日本には、チョットがっかりしたんじゃないかな( ̄◆ ̄;)
投稿: nyannko’レポート日記 nyannko12000 | 2010年2月11日 (木) 22時53分
私の本音を言ってしまうと、いまの相撲界にそもそも心技体の”心”の部分なんてあるのだろうかと疑問に感じています。
もちろん、何だってそうなのだけれど、真剣に精進する中で”心”もまた磨かれるということはあるでしょう。
でもそれは相撲に固有の話ではなく、何らかの鍛練がともなうものに共通した話です。
相撲特有の素晴らしい”心”の部分がいまの角界にあるとする考えは、今や幻想に過ぎないんじゃないのかなぁ。
つまり、「教えるにも教える力がない、学ぶにも学ぶべき実体がない」という感じなのではないかと私は感じてます。
投稿: のんきんぐ | 2010年2月11日 (木) 23時06分
のんきんぐさん
もえこさん
好意的みかたでうれしいです!
のんきんぐさんは特に論理的にみていて、分かりやすかったです。
押しつけているだの、はっとさせられます!
同感!同感!
もえこさんも、ちゃんとみていてうれしいです!
がんばるって大切ですよね。
批判するだけなんて簡単ですからね。
投稿: 真剣勝負 | 2013年1月19日 (土) 01時06分