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  • マーク・ダグラス: ゾーン — 相場心理学入門

    マーク・ダグラス: ゾーン — 相場心理学入門

    裁量トレードをしておられる方にはぜひお読みいただきたい本だ。

    負けトレードを経験したことのある方は、チャンスがそこにあっても怯えからポジションを持つことができなくなってしまう。さらに、「ああポジションを持っていれば勝っていたのに」という思いから、間違ったタイミングで不利なポジションを持ってしまう。

    このような負の連鎖を断ち切るのは非常に困難なことなのだが、なぜそれが困難でどうすれば克服できるのか詳細に記してある。

    トレーダー必読の書。

    (★★★★★)

  • イゴール・トシュチャコフ(L・A・イグロック): 実践FXトレーディング―勝てる相場パターンの見極め法(ウィザードブック123)

    イゴール・トシュチャコフ(L・A・イグロック): 実践FXトレーディング―勝てる相場パターンの見極め法(ウィザードブック123)

    この書籍をしっかり理解してトレードに臨めば、かなりの確率で勝利を手にすることができるだろう。

    解説されるメソッドは著者独自のもの(テクニカル分析の手法を応用している部分もあるが)であり、他に類を見ない。

    氏の手法をシステム化して運用してみているが、非常に安定して勝ち続けている。

    必見です!

    (★★★★★)

  • トゥーシャー  シャンデ: 売買システム入門 - 日本初!これが「"勝つ"トレーディング・システム」の全解説だ!

    トゥーシャー シャンデ: 売買システム入門 - 日本初!これが「"勝つ"トレーディング・システム」の全解説だ!

    かなり本格的なトレーディング・システムの入門書。

    トレードに関する限り、本屋で平積みにされている日本人の著した書籍は概して(もちろん例外はある)役に立たないように感じている。

    システムトレードを学ぶのであれば、まずはこのシャンデの著作あたりをしっかりと読むべきだと思う。

    いかに、情報商材として売られているトレード手法がちゃちでいかがわしいものかわかるようになるだろう。

    (★★★★)

  • 若桜木 虔: 「速読」で頭がよくなるすごい勉強法 (プレイブックス 887) (プレイブックス 887)

    若桜木 虔: 「速読」で頭がよくなるすごい勉強法 (プレイブックス 887) (プレイブックス 887)

    著者の「小説新人賞の傾向と対策」が良書だったため芋づる購入。

    速読に関する他のノウハウをかじったことのある方も一読をおすすめする。氏の書籍の特徴なのだろうか、こちらも極めて実践的な内容である。

    (★★★★)

  • 若桜木 虔: 小説新人賞の傾向と対策―キャラクターと舞台設定で狙う

    小説新人賞を狙う者にとってはまさにバイブルだ。

    例え現役作家が舌を巻く実力をお持ちでも、ここを押さえておかなければ受賞できないという急所を的確に指摘している。

    (★★★★)
  • 有川 浩: 阪急電車

    有川 浩: 阪急電車



    だれかのブログで見かけて買った恋愛小説。 未読であるため評価は未だできない。

    私は鉄道には興味ないのだが、この小説の部隊になっている阪急電車今津線が私の青春時代の思い出の地であるため衝動買いしてしまった。

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2010年2月14日 (日)

国母選手の何が悪い

オリンピックスノーボード日本代表の国母の移動時の服装が取り沙汰されている。

結局、謝罪会見が行われ、彼は開会式も自粛せざるを得なくなった。
さらに日本スキー連盟は出場辞退まで申し出たという。

橋本聖子団長の至って常識的な判断で、出場辞退の話はなくなったが、この一連の馬鹿騒ぎには朝青龍騒動にも通ずる実に危険な考え方が内包されているように思えてならない。

大雑把にいってマスコミの報道姿勢は私とは対極に位置するものの、「朝青龍騒動に通ずる」という観点は共有できていたらしく、またまたやくみつる氏をひっぱり出しておられたが、やく氏は今回も実に見識と想像力に欠く、島国根性剥き出しの情けないコメントを述べておられた。

私はこう思う。

国母氏の謝罪(さらには辞退)を当然のことと受け止めておられる方は、教祖を神と信じる新興宗教の信者を笑えない。

自らが生まれ育った空間を満たす文化を疑うのは難しいことだ。

中国・韓国・日本の歴史学者はそれぞれ異なる歴史を信じている。

実際には”事実は一つ”(関係ないが”真実は常に一つ”は間違いで、”事実は常に一つ”が正しい)であるにも関わらず、まじめに研究している歴史学者が同じ事件について全く異なることを述べるのだ。

もちろん場合によっては、事実を知りつつ制裁を恐れて、国家のイデオロギーにかなう見解を述べている場合もあると思うが、心底思う通りの見解を述べているにも関わらず、それがそれぞれの国家のイデオロギーの枠組みから出られないでいるケースも多々あるように見受けられる。

実地の資料を見聞している歴史学者にしてこの体たらくなのだから、当然ながら、一般国民の認識はもっともっと国家のイデオロギーに浸食されている。

私達日本人には、中国・韓国の歴史認識が学問的研究ではなく、イデオロギーの発露に見えてならないが、先方からも日本人の歴史認識は当然ながら同様に見えているわけだ。

さて、それでも「正しいのは私達日本人の認識の方だ」と思っておられる方にうかがいたい。

その根拠は何ですか

「根拠もヘッタクレあるか、そんなものどう見ても当然そうだろう。やつらの言っていることは、どこからどう見ても無茶苦茶じゃないか」 ・・・もちろん、先方だってそう思っている。

「それはやつらが国に騙されているからだよ」 ・・・同じく、先方だって当然そう思っている。

小さい頃からそう教え込まれた、誰かがそう言っていた、回りの人がみんなそう言っている、、、そんなものを根拠にしてはいけないのだ。

そういうものを根拠に、自らが正しいと主張するのであれば、これはもう、新興宗教の信者と何ら変わらない。


国母選手の話がいきなり歴史認識の話になって面食らった方もおられるかもしれないが、つまるところ、彼の服装を非難することは、自らの服装に関する認識を根拠なく絶対視・普遍視している点において、教祖を疑うことができない新興宗教の信者や自らの属する国家を疑うことができない国民と何ら変わらないように私には映る。

自らが奇異な服装に見えたからといって、ただちにそれを「服装の乱れ」と考えるのは誤りだ。

この報道を受けて、「高校男子の7割は腰パンスタイル。彼らにとってはその服装が常識。注意すると何を注意されたのかわからずにキョトンとされてしまうのが現実」というようなコメントを述べた高校教師がおられたそうだが、まさにこれが現実であり、国母選手のしたことは、与えられた服装を自分なりに、できるだけ「格好よく」着こなしただけのことなのだ。

実際のところ、彼の服装を見てある世代の者は奇異に感じるだろう。私ももちろんそういう世代に属する。

しかし、若い世代のものには、ごく当たり前の着こなしに見えるだろうし、格好よくも見えるだろう。

片や奇異に感じ、片や当たり前に感じる場合、何の根拠もなく、片方が間違いとするのは危険極まりない考え方だ。まして、服装についてそのような押しつけがどれだけ馬鹿げたことか、過去100年の服飾史をひもとくまでもなく、わかりそうなものだ。

パンツにシャツを入れるのが正装で、シャツを出すのが乱れているという見解の根拠など、断じてどこにもないのだ。
「正装」なるものが時代が変わっても変わらないというのであれば、選手団に紋付羽織袴を着せてはどうか。

せめて、もう少し現実的に次のような考え方は出来ないのか。

「ロートル世代に価値観に合う服装をさせるよりも、本人の自由にさせた方が、これからスノーボード競技に取り組む世代の共感・憧れを呼びやすく、競技人口の増加、競技の活性化につながる」


横審然り、高野連然り、実際に現場で頑張っている主役に対して、外野が自らの根拠ない価値観を無分別に押しつける姿は実に幼稚で情けないものだ。

念のためにお断りしておくが、私は伝統を維持しようとすることが間違いだと言っているのではない。

伝統を維持する努力はしなければならないし、むしろ世代を経て、より高みを目指して磨き続けなければ、伝統というものはたちまち形骸化して無力になるものなのだ。

何が伝統の本質なのか、何が文化の本質なのか、常に問いつづけなければならないのだと思う。

若者が持ち込む新しい風を無分別に受け入れてはならない。それがこれまで受け継いできた伝統を台無しにするかもしれないのだから。
しかし、無分別に拒絶してもいけない。それを受け入れなければ、受け継いできた伝統を陳腐化させてしまうかもしれないのだから。

個々人はそれぞれが属するジェネレーション特有の文化に強く縛られているがため、この評価は非常に困難だ。

それでも真剣に考え、問いつづけなければならないのだ。

国母選手の服装を盲目的に非難する態度は、決して、文化・伝統を守ることにはつながらないし、道義的に見ても決して正しくもない。

その感性は「ああ、あの頃は良かったなぁ」という美化された過去に抱く郷愁にも似る。

郷愁に浸るのも良い。自らの感受性を否定しろとも言わない。

ただ、それらは完全に主観的なものなのであり、他者を裁くよりどころには、決して決してしてはならないのだ。

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コメント

ああ、良かった。
非難記事ばかりで嫌になっていました。
就職した息子が、つい最近までこんな感じだったので、
どこが悪いの?と一瞬分からなかった親です。

sunpersimmonさん

こちらこそ「ああ、良かった」です。
正直なところ、なかなか共感は得られないだろうと思いつつ書きました。

「どこが悪いの?と一瞬分からなかった」とのことですが、「どこも悪くない」が少なくとも私にとっては正解ですし、これまで「なぜ悪いか」についての説明を一度も見聞きしていません。

今回は、マスコミが騒ぎすぎかなーと思いますね。
参加を自粛させろと言うのも行き過ぎだと思います。

服装も、私としては厳粛な場だと考えますのでキチンとして欲しかったですが、
それほどキツク咎めるほどの事でもないでしょう。

ですが、あの態度は頂けませんね。
舌打ちをして「反省してまーす」とか、社会人としてその態度はどうなんだと。
擁護する気も失せます。

服装より態度に対して批判するべきでしょう。
公の場ですからね。
例え納得できなくても粛々としておくのは、
社会人として当然だと思います。

なんだか私も朝青龍事件?のときのことと
似ているな~という漠然とした気持ちで
この件を眺めていました…。
日本を代表しているのだからあの服装は…
という意見もわかるけど、スノボードっていう
スポーツそのものがファッション性が大事、
という感じもしたので…
またうまくいえませんが、違和感はなんとなく
感じてしまいました^^;

sun青山さん

私の見解は根本的に違います。

「それほどキツク咎めるほどの事でもない」ではなく、「咎めるだけの客観的な根拠がない」というのが私の見解なのです。

私はもういい加減”おじさん”ですから、当然彼のそのようなファッションには違和感を感じる世代です。

しかし、私のその違和感で他者を裁くのは非常に傲慢で危険なありかただと考えています。

会見の場の態度について申しますと、競技に参加するならば、あれが限界だと思いますが、個人的にはこう言って欲しかったです。

「私には何がいけないかったのか全く理解できません。ただ、不快に思われる方がおられるなら、公的な場では、配慮させていただきたいと思います」

これが出来ないのは、まぁ若さでしょう。
朝青龍関はその辺り、一貫性があります。

sunもえこさん

仰る通りだと思うのですよ。

彼のファッションが裁かれるべきだと言うのがスキー連盟ないし関係機関の方針であるならば、正しかろうと正しくなかろうと、一貫してその方針を貫かれるべきで、貫いていたなら今回の騒動はなかったはずです。

何せ、ドレッドは認めているのですからね。

ドレッド、ゆるゆるネクタイ、腰パン、実にきちんとしたトータルコーディネイトではないですか。

私としては、そもそもお洒落をする必要があるのかと考えるんですがね。

sun青山さん

2点思うところがあります。

1点目はやはり受け止め方・感じ方の問題になるのですが、私自身も感性面ではむしろ青山さん側だと思うのです。
何せ世代も違いますし、「スポーツにお洒落なんかなぜ必用なんだろう」という感覚は何となくもっています。

しかし、次のように受け止めているのです。

人がスポーツに打ち込む際のモチベーションは多様です。しかし、多様でありながら共通の方向性を持つのも事実です。

それは、「このような自分になりたい・このような自分でありたい」という気持ちです。

(※「自己実現」と言ってもいいのですが、手垢がついて陳腐な別物に聞こえるので、この表現は避けました)

その意味で、国母選手の「このような自分になりたい・ありたい」というモチベーションの一部に、ファッションも含まれているのであれば、それは練習に打ち込むことと、分離不可能なものであるはずだと思うのです。

どのジャンルでもトップになるのは大変なこと、オリンピック出場選手ともなると、当然ながら恵まれた資質と強いモチベーションをもっています。

そのモチベーションは犯罪的なものでない限り多様であって良いのではないでしょうか。

そのような観点から見るとき、彼のお洒落は彼にとって必然であり、必用であったのかもしれないと思うのです。

2点目は、「お洒落」の本質についてです。

実のところ彼の「お洒落」と外野のもとめる「正装」には、見た目と裏腹に実質的にはさほど距離がないのではないかと思うのです。

つまり、国母選手は「精一杯の正装をしただけ」なのではないかと思えてならないのです。

正装は文化に依存するものです。

彼のジャンルにおける正装はあのスタイルで正解なのではないでしょうか。

ならば、正装をもとめ、彼のお洒落を否定するのは理屈にあわぬように思えます。

つまるところは、選手は一人ですが、見る側は多様な文化に属しており、それぞれの文化における正装を選手にもとめているということなのだと思います。

国母選手は正装の基準文化として、自らの属する世代・自らの属するジャンルを選んだわけであり、これは至って自然なことではないでしょうか。

「私には何がいけないかったのか全く理解できません。ただ、不快に思われる方がおられるなら、公的な場では、配慮させていただきたいと思います」

これに同感です。悪いと思っていないならばはっきりそう言えばいい。ただマスコミも我々もちょっと論点がずれていると思います。あの格好に対してそこまで目くじら立てている人はそんなにいないと思うのですよ。マスコミは煽ってますけどね。国民の多くが不快に思ったのはあの格好より記者会見の態度でしょう。それが正しかろうと間違っていようと両方の意見があるのは仕方ないですが、彼の「うるせーな、反省してまーす。」といコメントは両方の意見に対して最悪のコメントだったと思います。

これが出来ないのを若さで許すことには違和感を覚えます。高校生じゃないんです。プロとして大金を稼いでいる社会人です。したがってこの会見をもってぼろくそに叩かれても、それは自業自得です。ただし、それと出場自体云々の話は別問題ですが。

確かにマスコミの異常な騒ぎ方は問題ではあると思います。なにか常に国民の憎悪の対象となる人間を作っておきたいかのようです。朝青龍を叩いて、小沢を叩いて、ちょっと小沢に飽きて来たところにちょうど良いスケープゴートが見つかったという感じでしょうか。フジテレビが国母選手が入賞を決めた翌日の朝の番組で「私たちの取材の結果、国母選手の意外な一面がわかりました♪」とやっていたのを観たときには呆れてチャンネル変えました。(苦笑)

sunKLYさん

もちろん、私にも会見に席における彼の態度が立派だとは到底思えません。

しかし、国政でも何でもそうなのですが、筋を通すことが最善とは限らないケースも多々あると思うのです。

確かに、「過失は認めないが配慮はいたしましょう」という言明は筋が通っていますが、果たしてその結果、試合に出場できるのでしょうか。

私が選んだ言葉は「不承」と「配慮」ですが、彼の非難者の求めているものは「謝罪」です。

「謝罪なくば出場も不可」という非難者達の意思は誰の目にも明らかでしょう。

一方、国母選手から見た場合、本来誰にも後ろ指をさされるようなことはしていないわけですから、謝罪を強要されるいわれなどなく、さりとて、目標、目的があって来ているわけですから、「じゃあ出場しないよ」というわけにもいかないわけです。

つまり、彼の伝えたい内容は「不承ながらの形式上の謝罪」でしょう。

しかし、ここで馬鹿正直に「私は全く納得していませんが、謝らなきゃ出場できないようなので、謝ります」と言ったり、あるいは私が書きましたような、「配慮はするが謝らない」という態度をとった場合、出場できなくなってしまう危険性が非常に高いことは容易に推測できます。

つまり、ここに至っては、「筋を通せば道が塞がる」状況にあるのです。

何一つ悪いことをしていない真面目な一選手を、なぜそのような理不尽な状況の中におかなくてはならないのか、私は全く理解できません。まして、これからいよいよ世界の強豪と相対するために、集中力を高めていかなければならないタイミングで、このような仕打ちをしなければならない理由など想像もつきません。

私の問題意識はそこにのみ集中的に向い、それに対する彼のなしうるささやかな反抗など、取るに足らない話に思えてならないのです。

「不承」であることを伝えつつ、「形式上の謝罪」に過ぎないことを悟らせつつ、なおかつ、形式上の謝罪であるか否かを「水掛け論」の範疇にとどめおき、試合にはきちんと出場するためには、実のところ彼の会見はあの形でなければならなかったのではないでしょうか。

おっしゃることは解ります。私もそもそも謝罪しなきゃ出場させないというのは、そもそも話が違うと思っています。

彼は今回渋々の謝罪をしてでも出場する道を選んだ訳ですが、それなら尚のことあの会見はダメでしょう。要は彼が何を優先したいのかということだと思うのです

再三彼は自分のスタイルを通すと言っています。あの会見でもスタイルを通すことを優先するなら仮に出場できなくなったとしてもスタイルを通せばいい。

そうではなくて試合は試合として何としても出たいのならば、少なくとも形の上ではきちっと謝罪すればいい。この場合渋々なことがあからさまになっていたら意味がありません。

「形式上の謝罪」に過ぎないことを悟らせつつではむしろその方が怒りを買うのは明白です。白か黒かしかではなく灰色も当然ありですが、その場合でも自分から灰色と言ってしまっては意味が無いです。

少なくとも彼の内心はどうあれ、あの会見できちっとした謝罪をしておけばここまで叩かれはしなかったはずですから。もっとも彼がどんなに叩かれても自ら灰色だと宣言する道を敢えてとったのならば、それは彼の選択なのでもはや他人がどうこう言えることではないと思います。

その代わりボロクソに叩かれても、本人も覚悟の上ならば仕方ないです。ただ、彼はそこまで考えてあの会見をしたとは思えないんですよ。

sunKLYさん

私もKLYさんの仰ること、良くわかりますし、納得もいたしております。

正しさをどこまでも求めるのであれば、まずはきちんとした謝罪をして競技に参加し、オリンピック終了後に、今回のクレーム対する正式な抗議を大々的に突きつける形あたりが、最もそれらしいシナリオに思えます。

また、一般的な意見として、それを彼に求める声があがること自体は健全なことだと思いますし、その声を非難する立場に私はいません。

しかし、私は現実的な見地からみて、彼の会見がそんなに非難されるべきものなのかどうか疑問にも思っています。

なぜなら、先述のようなシナリオはスタンダードなものではありながら、いわば「冤罪」で裁かれるという非常に憤懣やる方ない状況における「教科書通り」のあり方であり、それが正しいと知りつつ、その通りに振る舞えないからといって、ただちにそれを社会人失格とするにはあまりにも酷なシナリオだと考えるからです。

先述の通り、私の関心は国母選手のファッションにも会見にも向かっておらず、罪のない一選手を偏狭な価値観に合わぬことを理由につるし上げる世間の体質にのみ向かっています。

ですから、会見について彼の態度を擁護する立場にあるわけではなく、仮に何らかの論旨からあの態度が客観的に正しくないと証明されたところで、私の主張自体には関係のない話ではあります。

しかし、私にとっての本題を忘れ、敢えて会見だけを議題に取り上げて考えてみた場合の私の意見は、ここに述べた通りであり、整理しますと、まず次の2点に集約されます。

(1)筋論としては彼の会見はベストだとは思えない
(2)それでもなお、最大の舞台の前で*冤罪*でつるし上げられている状況に鑑みて、後ろ指をさされる程の内容ではない

ここまでは、私の中の客観性をかきあつめた見解ですが、最後に少しだけ、彼の想いを推測(憶測)してみます。

私はKLYさんとは異なり、国母選手は世間に対してあからさまに喧嘩を売ったのだと思っています。つまりボロクソにたたかれることは承知の上だったのではないかと思っています(もちろん憶測ですけれどね^^;)。

灰色は黒と白がしっかりと混ざった状態ですが、彼の場合はタテマエとホンネを混ぜることをはっきり拒み、拒んでいることを会見で明確にして見せたのだと感じています。

結果論ではありますが、彼は不本意であることを伝えることに成功し、橋本氏の力を借りてではありますが、競技に参加することにも成功しました。

極めて理不尽な「冤罪吊るし上げ会見」において、彼は切符を手離さずに意思を伝えることに成功しているのです。

「スタイルを貫いた」という彼の言葉は一種の勝利宣言なのだと思いますが、その「勝利」の要素の一つは「冤罪吊るし上げ会見において俺は勝利したぞ」ということなのではないかと私はみています。あくまで私見ですし、ここで言明するほどのお話でもないのですけれど。

なるほど、もしそれが彼の考えた上での発言であり、勝利宣言だとするならば、私はもう何も言うことはないです。
覚悟を持ってそれを通すのであればそれも彼の生き方ですからね。利口な生き方ではないですがそういう生き方は嫌いではないので。

しかし、あの会見の口ぶりや、彼の生き方の表面をみてカッコいいと捉えたり、自分のスタイルを変えないところがいいなどと、誇るべき何ものもないガキどもが勘違いすることが怖いですよ。
そして、そういう勘違いを起させるような立場に自分があるのだということは自覚してしゃべって欲しいと思います。
好きでなったわけでは無いかもしれないけれど、国を代表してオリンピックに出るということはそういうことでもあるのだから。

彼の心中に関しては憶測しかできませんから、本当のところ、何とも言えませんけれどね^^;

ただ、彼の行動の上っ面のみを勘違いして受け止める層がいることはまず間違いのないところでしょうね。

ただ、私はスポーツ選手に公人としての自覚を求めることが本当に妥当なことなのかどうか確信が持てずにいます。

私は大学で体育会に所属していた人間です。

上下関係が厳しく、競技以前に礼儀作法を厳しく叩き込まれた時代でしたが、私自身はその環境を清々しく居心地の良いものとして受け止めていました。

ですから、当然ながら国母選手の会見には違和感(はっきり「不快感」といっても良いでしょう)を覚えます。

しかし、人って、そんなに完全でいなければいけないものでしょうか。

私は自らの道に真剣に打ち込む人が好きです。誰よりも練習に励み、誰よりも秀でただけで私は無条件に拍手を送りたい。オリンピック選手として国を代表していただくことに何の疑問も感じません。

もし、競技における実力だけではなく、その時代における一般的な作法がオリンピック選手に必用なのであれば、初めからそのような選手を選べば良いだけのことなのではないかと思っています。

国母選手の会見における態度は確かに若年層に影響を与えるかもしれません。

私には、それすらも国母選手の責任というより、影響を受けるかもしれない個々人の周囲にいる大人が、それまでどれだけ自分たちの文化を伝える努力をしてきたかにかかる問題であるように思えます。

品行方正で国民の模範となるトップアスリートは立派です。

しかし、単にトップアスリートであるだけでも尊敬に値すると私は思っています。

非もないのに、謝罪会見の場に引き出されるという理不尽極まりない仕打ちの中でも”理想的な振る舞い”ができるほどの度量を備えたオリンピック選手がそんなにいるとは私には思えませんし、そこで”理想的な振る舞い”をすることが果たして本当に正しいことなのかどうか(一見矛盾した疑問ですが)私には疑問にすら思えます。

トップアスリートであるだけでも確かに尊敬に値することは間違いないです。ですが、それを突き詰めてしまうと実力があれば何をしても赦されるのかという話になってしまいます。

もちろんそれは極端なはなしですが、トップアスリートだからこそ、最低限度の礼儀はわきまえる必要はあるはずだと思うのです。
スポーツ選手に公人としての自覚を求めるのは当然だと私は思っています。その選手の言動が回りに影響を及ぼす可能性がある以上、それは止むを得ないはずです。

それは単純に我々のように応援している人間だけを指しているのではなく、本気で彼を支援している、家族であり友人であり、スタッフであり、それらの方々の支えがあってこそ彼があるはずです。彼の一挙手一投足はそういった方々にも影響をあたえることを忘れてはならないのではないでしょうか。

彼だって自分ひとりで今の自分があるなどとは夢思っていないはずですし、自分の言動でそういった方々に少なからず迷惑を掛けたことは自覚していると思うのです。それは即ち彼が公人であるからだと思うのです。

それを考えたら”理想的な振る舞い”までしなくても“最低限の振る舞い”はする必要があったわけで、今回の彼の会見はその最低限に達していなかったということだと思います。

ここでいう”理想的な振る舞い”とか“最低限の振る舞い”は彼が決めることではなく、公人として彼を観ている一般の人がどう受け止めるのかということです。

sunKLYさん

そうですね。

この「トップアスリートに求めるもの」という一点においてのみ、KLYさんと私は意見が異なるようですね。

とはいいますものの、私がスポーツ界に身を置いて後進を指導するような立場にあれば、KLYさんと同じく、公人としての自覚を求める立場をとります。

ただ、「人の生き方」の一般論としてこの事象を語るのであれば、人間各人、それぞれをとりまく諸環境の中で、あるいは挫折し、あるいは妥協する中、誰よりも精進を重ね、人に抜きんでるに至った方々に、さらに何らかの義務を押しつけるのは案外自分勝手なお話なのではないかと考えます。

どんなジャンルであれ、トップに立つのは簡単なことではありません。無論素質も必用ですが、精進も必用であることも間違いのないところです。

毎日毎日、他の誰よりもそのジャンルに打ち込むからこそ、誰よりも抜きんでた存在になるのです。

そうやって誰よりも頑張り抜いた人間には義務が生じ、頑張り抜かず中途半端に終った存在には義務が生じないという構図には大きな違和感を覚えます。


冒頭で、「この一点においてのみ」と申しましたが、実はこれは間違いでしたね。

先日書きました通り、そもそも私の問題意識は彼の会見における態度には向かっていません。

この顛末に関して、考えるべき大きなポイントは国母氏一個人のキャラクタに関する云々ではなく、私がブログ記事で主題とさせていただいた、自らの価値観を普遍視してしまうことの危険性にこそあると考えています。

化粧回しをしめた横綱に対して「ネクタイをしろ、露出を控えろ」などと非難をあびせるのは実に滑稽なことです。

しかし、人は何らかの文化を背負っている以上、これと同じことを必ず無自覚にしてしまうものではないかと私は思いますし、これまでこの仮説を覆すに足る存在または状況には一度も出会ったことがないのです。

国母選手の服装非難問題についても、完全にこの範疇にあると私は考えます。

なんでもかんでも、若者の流行りに迎合する気はさらさらありません。維持継承すべき文化・伝統は厳然として存在すると信じます。
しかし、自らがどんなに優れた文化土壌に根ざしていようとも、その文化に属さぬものを排斥する感情(確かにあります)は、決して普遍的なものではないことを自覚しなければならないというのが、私がこの顛末に関して抱く唯一の問題意識です。

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