人の数だけあるのが真実なのだ
下の記事を書いてから10ヶ月余り経ちます。
関連した事項で最近とてもガッカリしたのは、CMで流れる映画「相棒」のワンシーンの中で、水谷豊演じる杉下右京が「真実は必ず我々が明らかにして見せます」と言っていることですね。
記事を読めばおわかりいただける通り、ここは「事実は~」でなければならず、作中の杉下右京は途方もなく知的な方なのですから、本来ならば、「そこは『事実は~』でなければならないのですよ」と訂正する立場のはずなのです。
「相棒」シリーズはドラマも映画もなかなかに素晴らしい作品なだけに、残念でなりません。
一方、嬉しい出来事として、スポーツの上達などを表す表現として、「成長」が復権し始めている傾向があるように感じます。
一部のキャスターやナレーターは明らかに意識して「進化」を避けて、「成長」を用いるようになって来ていますし、若いスポーツ選手の中にも....親御さんが私と同じ見解の持ち主なのでしょうか.....同様の方がおられます。
そのような変化は、当然ながら、この弱小ブログの影響ではありませんが、何事もあきらめないで一人一人が声を挙げ続けるべきなのだと思います。
TVのCMで流れいたEXILEの歌(My Station)の一節を聴いて、「またか・・・」とウンザリしてしまいました。
お断りしておきますが、EXILEは結構好きです。
ただ、「真実はいつも一つ それが少しだけ見えにくいだけ」という歌詞には問題を感じます。
別に「それはコナンの決めゼリフだろ」というわけではないですよ。
実のところ、コナンのこの決めゼリフがそもそもずっと気になっていたところに、My Stationの歌詞にまた同じ間違いを見つけたからこそ、冒頭の「またか・・・」という感想になったわけです。
「間違い」と書いてしまいましたが、実のところ、この一節は完全に間違いなのですが、どこが間違っているかおわかりですか?
実は”真実”の部分は”事実”でなければならないのです。
「事実はいつも一つ」
これが正しい表現であり、実のところ人の数だけあるものが”真実”なのです。
コナンにしてもEXILEにしても、”真実”を”事実”の「もっと凄いやつ」ぐらいのつもりで使っているようですが、これは完全な間違いです。
考えても見て下さい。
”事実”よりも、より事実である状況などあり得ますか?
”事実”というのは実際に起きた唯一のことを指し示す言葉であり、この言葉が指し示すよりも「より事実」である状況は理論的に存在しないのです。
では”真実”とは一体何を示す言葉なのでしょうか。
わかりやすい例を挙げましょう。
現在ではキリスト教徒といえども、「人が猿と共通の祖先から進化した」という仮説を事実である蓋然性が高いと受け入れています。
しかし、彼らは同時に「人の共通の祖先はアダムであり、そのアダムは神が自らに似せて造りたもうた存在である」という聖書の記述を”真実”として受け入れているのです。
「進化してヒトという種が生まれたのは事実かもしれないけれど、例えそうであっても、神が最初のヒトを創造したという真実はゆるがない」というわけです。
事実と真実が見事に食い違うのがおわかりいただけますか。
もう少し身近な例を挙げましょう。
「あいつは去年死んじゃったけれど、私の心の中で今も生きている」
実際に親しい方を亡くされた方ならば、このような気持ちが決して奇麗事ではなく、本当にリアリティのある状況であることがおわかりいただけると思います。
この場合、「私の心の中で今も生きている」というのは誰も否定できない真実です。
しかし、当人も認めておられる通り、「あいつ」は既に去年死んでしまっているという事象については、客観的にゆるがない事実なのです。
そもそも、真実という言葉は極めて哲学的な表現です。
例えば、「人生の真実」という表現は妥当ですが、「人生の事実」という表現はあまりみかけませんね。
「人生」という茫洋としたテーマについて、客観的にみて誰もが納得する唯一の事実を見つけ出すというテーマは可能か可能でないかと言う以前に、そもそも設問に間違いがあります。
しかし、「人生の真実」を哲学的・宗教的に探求するのは妥当であり、むしろこのような場合にこそ、”真実”という言葉を用いるべきなのですが、ここで注目すべきは、「私にとっての人生の真実」が「あなたにとっての人生の真実」と同じとは限らない、むしろ、人それぞれ千差万別なものである可能性が極めて高いということです。
名探偵コナンが「真実はいつも一つ」という場合、これは明らかに、実際に(といっても作品の中でですが)起きた犯罪事件そのものを指しているわけであり、哲学的なお話をしているわけではありませんね。
ですから、意図する内容を正しく言葉にするならば、「事実はいつも一つ」でなければならないのです。
EXILEのMy Stationの場合は、この一節だけからは何を指し示しているのか判然としませんが、仮に哲学的・観念的な話であるとしても、「いつも一つ」は完全に間違いです。
先程も書きましたが、思うに両者とも、「真実」を「事実よりももっと事実を指す言葉」であると間違えておられるのだと思います。言葉の正確な意味を知らずに、雰囲気だけで「よりカッコよさげ」な言葉を選ぶのは、ハッキリ申しまして、表現者としてはかなり恥ずかしいことだと思います。
以前にも書いたことがありますが、最近スポーツ中継において、「上達しましたね」とか「成長しましたね」という表現が用いられなくなり、それにかわって「進化しましたね」という間違った表現があてはめられるようになっています。
「進化」は「成長」の「もっと凄いやつ」ではなく、全く別の現象を表す言葉なのに、「より凄そう」という雰囲気だけでこの言葉が選ばれ、当たり前のように使われるようになっているわけですが、この「成長」と「進化」の関係は、まさに「事実」と「真実」の関係と瓜二つではないですか。
言葉が変遷すること自体には必然性があります。
しかし、マスコミがその絶大なパワーで間違った表現を押しつけた結果生ずるこのような変遷は正しい言葉の変遷でなく、人為的な”事故”です。
先日のオリンピックの際に、スケートの荒川静香さんが「浅田選手の真価が問われますね」と仰っておられました。
もちろん、何一つ間違いのない正しい表現です。
しかし、悲しいかな、お茶の間に放送された際には、ご丁寧に次のようなキャプションが画面に流れました。
「浅田選手の進化が問われますね」
荒川さんは極めて知的で見識のある方なのに、こんなアホなキャプションを割り振られてしまってお気の毒な限りですが、こんな馬鹿なことが生ずるのも、スポーツ中継において当たり前に「進化」という言葉が使われるようになってしまっているからでしょう。
こんなアホなキャプションをふった方も、平気で進化進化と連呼するアホなナレーターも、少しは進化.....ではなく、成長して欲しいものです。
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コメント
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なるほどですねぇ^_^;
間違った言葉はマスコミが事故を起こしているのですねぇw真価を進化にしちゃうレベルの低さにcooでも驚きですぅ(>▽<;; 滝アセ
最近のマスメディアって真剣さが無いから、見た目とノリで馬鹿丸出しな感じですw
アナウンサーの「てにをは」も変な人ばっかりで…
coo的には、真実と事実ゎ許しますけどw
進化は無いと思いまぁすw
投稿: coo | 2010年4月22日 (木) 17時16分
うーん、cooさんにしてその御認識ですかーヽ(^o^;)ノ
真実と事実は全く違う言葉なので、許す許さないのレベルではなく、明確な間違いなのですけどねぇ
ヽ(^o^;)ノ
進化の多用は本当に目に余ります。
もう、スポーツ選手が練習を重ねて力をつけた際の表現には「進化」しか使われないぐらいになって来ています。
これはそもそもは比喩的に用いられたのが始まりでしょうが、それにしても、あまりにも「下手過ぎる」比喩です。
下手というか、見当外れな比喩なのに、それをスンナリと受け入れてしまうマスコミの見識レベルが悲しいですね。
「進化」というのは定義的に一代では出来ないものですから、どんなに練習しても「成長」することはあっても、「進化」することはあり得ませんものね。
むしろ、「最近の携帯電話の進化は凄まじい」などの使い方に関しては、DNA的な性質形質の継承がベースにあり、代を経て起きる現象だけに、「進化」の転用としては優りますが、それも意図して使っているのではないのだろうなぁ。
投稿: のんきんぐ | 2010年4月23日 (金) 17時47分
あぁ。なる程☆
言われてみれば、そうですね。
でも…
私も間違いだらけの日本語なので…
(大半は、男言葉…)
言われないと気付かない、人です。
ブログを書いていても、【言葉の表現】は難しいですね。
だけど、
どちらも、【スタッフ】が大量にいるのに、
(大卒も多そうだけど)
誰も、指摘しないのかなぁ…?
と、ヘンな所に疑問を覚えるのは、私だけ?
MAMAGON
投稿: MAMAGON | 2010年4月23日 (金) 22時38分
言葉は常に変遷するものなので、それぞれがそれぞれの成し得る範囲で的確な表現を心がければ十分だと思います。
私だって、もちろん間違いだらけですから。
ただ、仰る通りマスメディアを介して流される情報につきましては、スタッフのチェックがあってしかるべきでしょう。
例えば、「名探偵コナン」の場合、誰よりも担当編集者に責任があると思います。
担当編集者に「多少勉強のできる中学生程度」の教養があれば、このようなことにはならなかったはずなのですが、残念な限りです。
NHKが「ちょっとアカデミックなバラエティ系」の番組を良く作りますが、その際、いわゆる”御意見番”的な立場で、初老程度のアナウンサー氏がしばしば出演しています。
ところが、非常に残念なことに、この世代のNHKのアナウンサーさんの教養レベルが驚くほどお粗末なのです。
発言なさる度に本当に悲しい気持ちになります。
投稿: のんきんぐ | 2010年4月24日 (土) 06時13分
真実と事実。。
本当にそうですね。
間違った事をするつもりがなかった事が真実でも結果として間違ってしまった事は事実には他なりません。すごく勉強させて頂きありがとうございました。
投稿: 氷の雫 | 2010年4月30日 (金) 20時50分
コメントありがとうございます^^
ご共感いただけて嬉しいです!
投稿: のんきんぐ | 2010年5月 1日 (土) 14時05分
お久しぶりです、こんにちは。
4月の記事にコメントですいません。
進化については
以前からおっかし~と私も思ってました。
ただ周囲には”そんな感じで受け止めることも必要よ(笑)”
と共感してもらえたことがなく・・・
なのでうれしかったです。笑
事実と真実も今まで考えたことがなかったけど
(コナンは知らないし、エグザイルも聴かないので^^;)
たしかに~と思いました
最近日本語力が低いと親に叱られたばかりなので
じっくり記事を拝読させていただいたのです。
またおもしろい記事楽しみにしています。
投稿: na*o | 2010年6月11日 (金) 16時59分
お久しぶりです!
進化の件、同じ思いを抱いておられたとの事、嬉しい限りです。
事実と真実についても御共感いただけて嬉しいです^^
私の日本語力もお粗末なものですが、読書し続ければ少しずつでもましなものになっていくはずだと信じています。
更新ペースがスローなブログですが、いつでも遊びに来て下さいね^^
投稿: のんきんぐ | 2010年6月13日 (日) 01時07分
そういえばエヴァの最終回でも真実は人の数だけあるって言ってましたね
投稿: 使徒 | 2012年3月 7日 (水) 22時15分