「金のかからない選挙」から「金をかけさせない選挙」へ
一年ほど前になるが、「金のかからない選挙」という記事を書いた。
内容については、上のリンクから記事をお読みいただければ嬉しい。
今の日本では、ジバン・カンバン・カバンの「3つのバン」が選挙の決め手になると言う。
ジバンとは地盤、つまり候補者の当選により何からの恩恵を得る支持組織などの存在のこと。
カンバンとは看板、つまり知名度のこと。
カバンとは鞄、つまり資金力のこと。
こんな「3つのバン」で決まる選挙が、正しく機能した選挙だとはとても言えまい。
それでは、「正しく機能した」選挙はどのような選挙なのだろう。
私は次の3点を評価して投票する選挙こそ「正しく機能した」選挙だと思う。
- 何をしようとしている人なのか
- 本当に実現に向けて努力する人なのか
- 実現するだけの能力はあるのか
つまり、候補者の目的・誠実さ・能力の3つを評価するわけだ。
弓の名手の姿を思い描いて欲しい。
正しい的に向い、正対して、的を射抜く。
つまり、目的(正しい的)に向かっており、誠実であり(正対している)、的に矢を当てる技量(能力)があるわけだ。
正しい的を狙っていなければ、技量が高くても無駄で、むしろ危険だ。
技量が高く、正しい的を狙っていても、的に対して正対しないいい加減な態度では、やはり結果は出ない。
正しい的を狙っていて、真剣に正対していても、的に矢を当てうるだけの技量がないようでは、やはり失格だ。
弓の名手の姿こそ、わかりやすい「あるべき政治家」の姿なのだ。
なるば私達は、「3つのバン」もった候補者ではなく、「弓の名手」をこそ選ぶ選挙をしなければならないのではないか。
「そんなヤツいねーよ」と簡単に決めつけるのは怠慢だ。
民主党にだって自民党にだって、優れた政治家はいるのだ。
ただ、それを私達有権者が見極めるのは極めて困難なのも事実。
なぜ困難か。
つまるところ、「3つのバン」にモノを言わせる選挙をしていては、弓の名手かどうか見分けることなどほぼ無理なのだ。
しかし、現在の有権者はここであきらめなければならないほど無力ではないと私は思っている。
制度が変わるのを待つ必用などない。
例えば、はっきりとした主張をtwitter上で行い、賛同者でリツイート合戦を行って、そのリツイート数で候補者を「脅迫」してしまえばどうだろう。
例えば、私は先述の記事において「政党ホームページと政治家の個人ホームページにてマニフェストを公表する以外の一切の選挙活動は公職選挙法違反にしてしまえば良い」と述べている。
サイトのマニフェストを読むだけでは、「正しい的を狙っているか」しかわからないという御批判もあるだろうけれど、最低でも「正しい的を狙っているか」はわかるのだ。無駄でやかましいだけの街宣車や、イメージだけのポスターのような「金はかかるけれど何一つ伝わらない」旧来型の活動より1000倍マシだ。
何より、サイトにおけるマニフェスト公表以外の選挙活動ができないとなると、くだらないところに金をかけることが出来なくなる点が大きい。選挙に金がかからなくなることは、すなわち「3つのバン」にモノを言わせる選挙システムの終焉を意味するのだ。
つまり、志があるのに金がないために政治家になれないというような、馬鹿なことがなくなる。
・・・と、私は考えている。事実かどうかはわからないけれど。
ならば、Twitter上に「政党ホームページと政治家の個人ホームページにてマニフェストを公表する以外の一切の選挙活動を行う候補に私は投票しない」という声明を出してみるのが、案外面白いのではないかと思うのだ。
もしかしたら、御賛同いただけて、リツイートして下さるかもしれない。
リツイートの数が何万、何十万と増えたならば、候補者を揺り動かす具体的な力になるのではないか。
一度の選挙で何もかもかわるわけではないだろうけれど、このような地道な運動を各自が繰り広げることこそが、新しい政治システムへの扉を開くことになって行くのではないかと私は考えている。
もし、私が本文のようなツイートをしたら、ぜひリツイートして下さいねヽ(^o^)ノ
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コメント
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こんばんは(*゚▽゚)ノ
本当に国民をなんと思っているのだろうか?と今の政治に疑問視です。。スポーツ選手や芸能人の擁立。。党なんて無くして無所属に全議員なって
のんきんぐさんのおっしゃる志を持った方に議員になってほしいものです。お金持ちしか政治が出来ないという風にならないで欲しいですね。
投稿: 氷の雫 | 2010年5月13日 (木) 20時52分
次の選挙で政治と無関係な著名人候補がどんど落ちればよいのですけどね^^;
私は議員全員にセンター試験(大学受験の)を受けて欲しいと思ってます。
もちろん、偏差値だけで議員を決めてはいけないけれど、我々がこれから投票しようとしている候補がどんな人物なのかを知る一つの材料にはなるはず。
私自身は基本的にあまりにも成績の悪い方には投票しませんが、その原則を無視して投票したくなるような人間的な魅力とか、熱い情熱を感じさせるような候補があらわれればその限りではないでしょう。
ただ、他全てが「並」で、成績が著しく悪い方に国家の運営を預けることには大いに疑問を感じます。
投稿: のんきんぐ | 2010年5月16日 (日) 08時42分
こんばんは(*^_^*)
確かに成績の悪い人には国家の運営を任せられないですよね。高橋尚子さんのおっしゃった
「政治の勉強をした人」がいいですよね。
投稿: 氷の雫 | 2010年5月16日 (日) 21時20分